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2010年2月 アーカイブ

2010年2月 3日

琉球王国における体系化と東方信仰

琉球王国は、祭政一致の政策をしき、琉球各地の類似信仰も吸収、整理統制化した。各地に様々な呼び方をされていた聖域を「御嶽」という呼称に統一し、ノロは階級化され、集落のノロが各集落の御嶽を管理し、地方の豪族領主である按司の血縁の女性をその地域全体のノロを統括する大阿母(神職名)とし、さらに国王の血縁の女性をノロ々々の頂点である聞得大君とした。

また、琉球王国は太陽神(てぃだ)を最高神とする東方信仰を根幹においた。そして琉球国王は太陽に重ねて称えられ、ニライカナイの君手摩神の祝福を受け、オボツカグラの神の認証を持つとされて、王権神授論を構成した。ちなみに、琉球王国の進貢船に掲げられた旗は白地の中央に赤い日の丸の日章旗であり、これは日本本土の武家政権での使用よりも古い可能性がある。(進貢船の派遣自体は14世紀まで遡るが、当初から日章旗が用いられていたかは不明。本土では勘合貿易の船旗として日章旗が用いられていたことが知られる)

東方には太陽が昇る穴(太陽が穴:てぃだがあな)があると考えられ、その先は神域と考えられた。すなわち東方は太陽のある聖域であり、反対に西方は死の領域と考えられ、忌避された。王国時代の風葬は西方の崖や洞窟で行われた。首里からみて、太陽が登ってくる地平線の真下にある玉城村など四間切は聖地と考えられ、多くの御嶽が集中している。またさらに東方の海に浮かぶ久高島は琉球王国最高の聖地と考えられ、久高島の中央にあるクボー御嶽は太陽が穴そのものとされていた。以来、久高島は現在に至るまで沖縄最高の聖地として知られている。

また、琉球王国時代には、琉球開闢神話が史書として残された。「中山世鑑」「琉球神道記」などに、日本(大和)の開闢神話と酷似した神話が記録されている。開闢神話において、琉球は天帝(日の大神、太陽神)によってアマミキヨ、シネリキヨの二柱の神によって土地を造成され、島となり、それから琉球開闢七御嶽(御嶽 (沖縄)の項目参照)をつくり、島に人間を放ったとされている。

また、琉球王国は先島を勢力下に収めるたびに、この信仰をその地に広め、現地にノロや司(つかさ:八重山のノロ職名)を置いている。しかし基本的に間接統治であったため、現地の信仰の多くもそのままに残され、御嶽のような形式がその地域の信仰に取り込まれていくこととなった。ただし、王国と敵対したオヤケアカハチが信仰していた八重山地方のイリキヤアマリ神信仰のように、滅ぼされた信仰も存在する。

琉球王国では、その王統が伊平屋・伊是名島に由来することから、伊平屋・伊是名の神を王国の守護神として王府首里に勧請した形跡が伺える。一例として、国王巡礼の守護神となっていた有名な園比屋武御嶽の神が、元々は伊平屋の神であったことがあげられる。また、聞得大君の神名である「しませんこ あけしの」は、もともと国頭地方勢理客の御嶽の神名であることがわかっている。

『ウィキペディア(Wikipedia)』引用

琉球王国の宗教について調べてみました。

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